脱俗?

今朝の日経MJには、毎年末恒例の「2019年ヒット商品番付」が掲載されていました。

東横綱:ラグビーW杯 大関:令和 関脇:天気の子 小結:ウーバーイーツ

西横綱:キャッシュレス 大関:タピオカ 関脇:ドラクエウォーク 小結:こだわり酒場のレモンサワー

以降、前頭が東西で14項目ある。

その他に、殊勲賞:井上尚弥 敢闘賞:東京モーターショー(あったっけ?) 技能賞:りんごちゃん 残念賞:闇営業 話題賞:東京五輪カウントダウン

全部関心が無い。興味が無かった。全滅だ。

最近は新聞もテレビも雑誌も「面白くないなぁ」と思うことがしばしばだけど、結局の所それは自分の関心事が世間とかけ離れつつあるということなのだろう。

これも一種の老化なのだろうか?

若い頃、年配の方々が「最近のテレビはくだらないことばかりだ」と、吐き捨てていた。当時は自分の中で「おもしろいじゃん」ということが。

思い起こしてみると、若い頃の自分は俗っぽいのは結構好きだった。

元々自分の関心事は狭い範囲にある。好奇心はある方だと思っているがフォーカスできる範囲は限られている(世間とズレていることも多い)。とはいえ、仕事柄色々知っていなければならないので、長い年月をかけて様々に情報を得るように心掛けていた。それこそ、必死に。

50歳前後あたりから「そんなことはもういいか」という意識が強まってきた。「消費を作りださなければ経済が成り立たない」という仕組みに危うさを感じ始めて来た頃。なんか変だな?と。

しかも、自分のやっている仕事が広告やプロモーション。その変な感じの片棒を担いでいるような気分になった。

流行り、トレンド、ブーム、ムーブメント、来てる、ヒット。。。

そんなもの、どうでもいい。

俗世間なんて関係無い。

といいながら、日経MJを読む自分。矛盾だらけだ。

脱せないのかな?生きている間は。

投稿者: vart-jpn

ワイン用ぶどう栽培農家。ワインショップ・バート運営。画家。