使い古された言葉。年末に顔をあわせる誰もが自然と交わす言葉。
されど、今年はことさら深く響いてくる。
「来年は」という希望を抱きたいのはやまやまなれど、その持って行き先が不透明だ。
終息は何処や?エビデンスは「おマエらが示すもんだろ」と叫びたい。
いやいや、それはそうと、栽培は?ワインは?アートは?
あれやこれや不安と虚しさは残るものの、現実は容赦なく進んでいく。
だから、明日の一歩を考える。一年の計画を策定する。目標を定める。思考を固める。
そうしておいて、最後は祈る。
まだまだ煩悩は抜けないな。
また一年、あがいてみよう。