昨日は「全国山城サミット上田・坂城大会」が主催する、山城ガイドツアーの真田コースに参加してきました。
楽しかった。※コロナ禍なので仕方ないのだが山歩きにはマスクがキツイ。
場所は、戦国好きには有名な「砥石・米山城跡」です。
山容はこんな感じ。毎日見ている。
歴史上の詳細は長くなるし専門家でもないし特別なマニアでもないので省くが、真田家にとってターンイングポイントとなった拠点であり、武田信玄ファンにとっても記憶に残る山城だ(ディープな歴史ファンには村上義清で知られる)。
主郭の見晴らしは絶景。往時は木々が伐採されていたからなおさらだろう。
おどろいたのは、500年近くも昔の構造が色濃く遺っていて妄想がしやすいこと。これはハマる。
曲輪(くるわ)とよばれる遺構がひじょうに良く遺っているし、この山城は特に圧巻の規模だった。
時代は異なるが、幕末好きにお馴染みの佐久間象山が学問のために通った道も遺っている。
もっと写真は撮ったけど、きりがないのでこの辺で。
で、なんと言っても嬉しかったのは、この山城群の北側にある枡形からの眺め。眼下に真田の郷が一望でき、なんとウチの真田ヴィンヤードが丸見えなのだ。
で、改めて城跡を調べてみたら、畑の周囲は山城だらけだった!
これはおもしろい。
なんとなく知ってはいたけど、これほどとは思わなかった。北は越後勢、東は上野(こうずけ)勢、南は甲斐勢。それらの勢力が常にこの地を抑えたかったほどの要衝だったという。戦国期のスクランブル交差点。
ちなみに、なぜ西からはこなかったかというと、大河の千曲川があったからのようだ。昔は水量がずっと多く、常に洪水に見舞われていたため、自然の要害となっていたのでしょう。
そんな事情もあり、往来は北・東・南からの山越えが常識だったようで、真田地域は峠越えの街道が合わさる地域だったみたい。
何はともあれ、畑の周りも面白そうだ。