農家も困った。

おとといからリースリングの苗植えを始めた。

続いてシャルドネ、メルロを定植。続いて補植を合わせると、今年の苗植えは800本近くなる予定だ。

ぜんぶ去年から計画・準備をしていたものだが、苗植えは「ボランティアさん」を想定(期待?)していた。

それがいま、コロナ禍。

誰にも声を掛けられない。一人でぜんぶやらなきゃ。早くも全身筋肉痛。

今回の新しい畑は集落の真ん中なので、「村おこし」のためにも地域の皆さんに参加していただいて、盛り上げていこうかなぁ、などと密かに計画をしていたが、それらも「おじゃん」だ。

こんな小さな、一人でやっている農家にも影響がある。

外国人労働者に頼らざるを得ない高原野菜の農家さん。量産化にシフトしている農家さん。かなり深刻だろう。後継者不足という現実も迫っている。

農家もコロナ禍で疲弊する。

STAY HOME

今朝から本降りの雨。

個人的には恵みの雨かな。ちょっと肉体的な疲労が重なってきた。

少し「身体が重いな」と感じると、こんな状況だから「大丈夫か!?」と変な勘ぐりを自分にしてしまう。このところ妙にマメに体温を測ったり。

長野県内もジワジワと感染者が増えている。今のところ上田保健所管内では1名のようだ。

県内の感染者のほとんどは大都市圏への滞在歴があったため、今回の緊急事態宣言の対象地域を全国にしたのは悪くない判断だと思われる。

大変な状況だが、戦中を経験した高齢者を除き、現代を生きている我々には初の試練だと思うしかない。

特別「人ぎらい」ではないものの、一人でいるのは好き。家で黙々と何かをやっているのも好きな時間だ。それに、一日中誰とも話しをしない屋外の畑仕事に日々追われている。STAY HOME、ずっとできるよ。

IMFのコメントで「この3ヶ月で世界は劇的に変わった」とある。その通りだろう。

自分を救ってくれたアートとワイン。皮肉なことに両方とも経済状況に大きく左右されるマーケットだ。ワインは売れなくなる。生活に必要ではないアートも。廃業者は増えるだろう。

この苦境をどう乗り越えるか。地方の片田舎で雨音をBGMに考え続けよう。

受け入れる

自分の人生のターニングポイントとなった言葉。今も役に立っている。平静を保てる。

新型コロナウイルス。もはや誰にも止められない。いま人間にできることは可能な限り手を尽くす防止策だろう。

以前にも書いたかも知れないが、年末年始は「読書期間」ということで本を買いだめしておく。

そのうち3月始め頃から読み始めていた一冊が「土と内蔵」。

ワインを知るようになると、また農作物を真剣に作り始めると、微生物の存在の重要さに驚かされる。そのためもあり、ときどき難解ながらもこんな本を読んでしまう。

いまさらながら、突きつけられる現実に唖然とする。

私たちを含む地球上の生物はすべて、DNAまでをも「微生物に支配されている」という事実。生命活動はおろか、石油や天然ガスも、空気中の窒素も。

コロナショック、どうするか。いや、どうしようもない。

現実を受け入れるしか。

もちろん手洗いは必須。でももっと大切なのは体調管理かも。とにかく抵抗力が必要だ。そのための栄養の摂取。睡眠。筋肉量を増やす。休養。

体内の微生物にしっかり抵抗してもらおう。これしかない。

心身に不安を抱えたら抵抗力が落ちるぞ。

人生と人類の危機

いま生を受けている世代にとっては、この「人類の危機」という表現を使ってもいいのかもしれない。

奇しくも昨年末から1月に読んでいた「サピエンス全史」の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が今日の日経新聞に寄稿していた記事で指摘していた。

個人的には、バブル崩壊を乗り切ってV字回復し、リーマンショックでは息も絶え絶えながら生き延び、その後に飛び込んだ農業・ワイン・アートの世界でどうにかスタートを切ることができたこの頃だ。

が、そのターニングポイントと捉えていた2020年に新型コロナウイルスが発生するとは予想だにしなかった。

リーマンショックのときは世界経済も自身の経営にも強烈なダメージを及ぼしたが、今回のコロナ余波はそれを上回るとの意見に多く触れる。そして前述の「人類の危機」という指摘。

日々刻々と変わる状況。

自分の人生を大きく変えたリーマンと東日本大震災。

それを上回るかぁ、、、キツイなぁ。

今できること、準備しておくこと。思考の転換が必要かもしれない。

「もう経済や人間関係であくせくするのはイヤだ」と公言していたが、どうやら静かに余生を過ごすという選択肢がなくなりそうな勢いだ。

明けない夜は無い、と言う。たとえ新型コロナウイルスで世界中の人々が数十万人単位で亡くなろうとも、人類は存続し続け、世界の仕組みは維持されていくのだろう。

だが今、自分も含む周囲の人々、見ず知らずの多くの人生は、ある日突如として終わるのかも知れない。

危機感は日々アップデートせざるを得ない。

それでもやはり、可能な限り前向きに生きる。

思考の転換。人生設計の転換が迫られている。

けっこう本気

先日で今シーズンの雪降りは終わりかなと思っていたら、今朝はかなりの本降り。8時現在で22cmあり今も降り続いている。目測であと5cmは積もった感じだ。上田市に大雪警報が出ている。

気温は高めだし、予報では昼過ぎには止むとのことだから、解け始めれば早いと思う。

今朝は一昨年以来久しぶりに村の一斉雪かきの召集がかかった。春雪のため水分が多く重いこと。腰が壊れないかどうか心配だった。

天気予報は当たった。東京をはじめ関東方面はどうだろうか?

いずれにしろ、自主隔離には最適な日曜日となりそうだ。

家に閉じこもってしかできないことを見つけよう。その気になれば家でやることって案外たくさんある。気持ちの持って行き方次第。そうやって活動して代謝を促し、しっかり食べて、休息して、精神を穏やかに保つ。

油断も楽観もできないが、ワクチンが開発されるまでは、身体と精神を健全に保つことが大切だ。イライラしたり不安を抱えると活性酸素が暴れるよ。ストレスは万病の元。

コロナに負けないように、まずは自らを鍛えておこう。そこも超本気。

神の正体

どうやら「人類の危機」と捉えたほうが良さそうな状況になりつつある。

いち庶民である自分が歴史に照らして分かった風なことを言える立場ではないが、今回の新型コロナウイルスのパンデミックは「何となく」14世紀に欧州で大流行し16〜17世紀まで繰り返し発生し続けたペストの世界的な大流行に重なって見える。感染拡大が「人と物の移動」によってあてどなく広がり続けるという印象。

15世紀頃の大航海時代に革命的ともいえる進化を遂げた当時の欧州は、当然のように「もっと、もっと」という流れが生まれ、東南アジア、南太平洋、アメリカ大陸の侵略・征服が繰り返された。(現代と同じ経済的な欲望)

それによりヨーロッパ人が世界規模で海洋を縦横に行き来し病原菌をばらまいた印象がある。歴史書の中では南米のインカ帝国はスペインとの戦役による死者より疫病の被害者が多く、また、多くの地域で疫病により先住民族や部族が消滅したという説を目にする。

いまや中国が世界経済の主役であることは間違い無い。皮肉なことにその中心地が今回の新型コロナウイルスの発生源(恐ろしいことに他者のせいにしようとしている)となっている。そして、交通網の発達は目を見張るばかりで、あっという間に世界中に感染が拡大する。

中世の大航海時代は、おそらく勝者による支配が肯定され続けたろう。そこに疫病が蔓延する。漏れ落ちた人々(敗者)の精神的苦痛は、ひょっとしたら現代と近いものがあるのではないか?

追い詰められた人々は救いを求め祈ることしかできない。

大航海時代は、疫病と布教の歴史に重なる。

細菌は地球誕生と同時に存在しているようだ。そして超高温だろうが無酸素だろうが絶えず変容しながら数十億年単位で生息し続け増減を繰り返す。

地球上のあらゆる生物は菌と共に生きている。

信心深い方々には申し訳ない表現かもしれないが、ひょっとしたら菌こそが神の正体なのかもしれないと、近ごろ思いを巡らせている。

姿は見えない。だけど、すべての生物は菌の支配下にある。

しょせんは人間も菌しだい。

身体の内でも外でも絶えず活動しつづける菌たちの環境を整えることがまず第一なのだ。

だからこそ、自然界の環境を保たなきゃ。人間がコントロールできると思ったら大間違いだ。

農作物も、ぶどうも、ワインも。

菌を怒らせてはダメだ。

季節外れ?

7時頃から小雪です。

ウチは標高が高めだから雪になっていて、もしかしたら市街は雨なのかな?

いずれにしろ大したことは無いと思うけど何だか「季節外れ」のような感がある。たぶん身体がもう暖かめの仕様になっているんだろう。

いつもなら3月中旬になっても朝晩は-5℃ぐらいには平気になるのだけれど、今年は氷点下になったのも数日だ。草もどんどん生えてきている。

このまま春になってしまうのかな?

コロナやら経済やら天候やらで、どうにも落ち着かない。

気持ちだけでもなんとかコントロールしなければ。

次の一年へ

2011年3月11日 午後2時46分。

忘れられない。鮮明な映像が残っている。

古いオフィスビルのフロアの揺れ。デスク、チェア、書類、筆記具、PC、モニター、プリンター、ブックシェルフ。様々なものが異常な音を立てて揺れていた。

飛び出した屋外で、歩道に座り込む人々、余震の度に悲鳴が飛び交う。

徒歩で帰る人々の無言の行列、空っぽのコンビニ、多摩川の橋の上、綱島街道沿いの暗闇。

繋がらない子ども達の携帯にいらつく自分の姿。

反面、まったく覚えていない細部。

9年目か。

自分も含め被災の当事者でない人間のどれだけ多くがあの震災の影響を受けたのだろうか?

様々な状況下での、それぞれの人生があったと思うが、私のように「背中を押された」という方々も少なくないのではなかろうか?

日本の文化の場合では、お正月と春四月が一年のスタート、という心持ちが自然なことだと思う。

毎年3月11日は、生きてあることに感謝する日として刻まれた。そしてもっと生きなければ、この先一年を大事に生きなければ、と思いを強くする一日となった。

不気味な足音

一年で最も寒い1〜2月は剪定作業が続きなかなか厳しいのだが、今年は本当に身体が楽だった。

それもそのはず、気温が平年より4℃以上も高かった。旬毎のグラフにしてみたらその差は歴然。

で、ふと気づいたのだが、この冬は軽装が多い。

いつもの冬はヒートテックのアンダー+暖タートルネック+起毛フリース+厚手ダウンが定番だが、ダウンの代わりにウインドブレーカーで十分だった。ダウンを使ったのは5〜6日だろうか。

日によっては暑くてフリースさえ不要だった。

ニット帽を使う日が少ない。

靴下の2枚重ねを一度もやっていない。

極厚手の手袋を一度も使っていない。

足が冷えにくい雪靴は3回ぐらいしか使っていない。

靴底に暖かい中敷きを使っていない。

なんか変だ。この先、何かあるんじゃないか。

世界のすべての生物は菌でできている。

新型コロナウイルスは世界中を不安にさせている。

昨日、テレビで大相撲の中継を見ていてひどく寂しい気分になった。

春の足音が近づきつつある。いつもなら、無意識のうちに気持ちが明るんでくる頃だが、なんだか不気味な心持ちが身体の奥底で蠢いている。

そろそろ明るい話題が欲しいな。