生きている限り

東京で仕事をして、横浜に住んでた自分は、何一つ無くしたわけではない。

子ども達の無事を確認できた時点で、被災から免れたのだ。

それでも、2011年3月11日は自分が生きている限り記憶の中に刻み込まれる。

人生の、残り時間のカウントダウンが始まった日。

思考が猛スピードで動き出し、一気に決断へと向かった日。

背中を押されてしまった。自然の脅威に。

そしていま、自然のまっただ中で、天地の采配に文句を言えない仕事をしている。

勝てないことはわけっているけど、負けたくない気持ちも強い。

若い頃から何をやっても人より劣っているのが常だったけど、もしかしたら両親からいただいた能力は「負けず嫌い」という気質かもしれない?ちょっとやそっとじゃ、諦めないのだ。

農作業も徐々に忙しくなる。

自然には絶対勝てない。でも負けたくない。だから共存しなきゃ。自然の声を聞かなきゃ。

8年目の3月11日。良きワインのために、今年も葡萄づくりに最善を尽くす。

新しいシーズンが始まっている。

奇妙な光景

きっと、何て言うことはないのかもしれないが、ときどき、脳裏に妙に焼き付く光景に出くわす。

外食は一人で行くことが多いので、たいがいはカウンター席へ座る。

先日、大戸屋で昼ご飯を食べていたとき、後から20代とおぼしき若い営業マンがひとつ空けた隣席に座った。なにやら楽しそうにしゃべっている。

「なんか変だなぁ」。チラッと見てみたら、一人だ。

???

手にスマホ、耳にワイヤレスのイヤホン。食べながらもずっとしゃべっている。笑っている。楽しそうに、屈託なく。

あまり得意ではないものの、雑踏は慣れているつもりだ。ひとりでの外食も数十年も昔からで慣れたもの。店内で交わされている人々の会話は、リラックスしているときには適度に賑わいを感じる。

でもなぁ、すぐ隣で「ひとりで」しゃべっていられると、やはり気持ち悪い。気にしなきゃいいんだろうけど、そうはいかない。自分の神経が勝手にザワザワする。

もし今も東京で仕事していたら、もはや日常なのだろうか?慣れて、気にならなくなるのだろうか?

なんか、変だ。電車内で女性が化粧をしているのに出くわした気分。

食事を終えて買い物へ。アリオという複合施設(SC)だ。十万人以上の人口を抱える地方都市にはイオンと共によくある。便利なのだろう。全国展開のテナントがパッキングされ老若男女が行き交う。SCの磁力は強大で、地元商店街と個人商店は自ずと衰退する。

それはともかく、目的の店へ向かう通路にサーティーワインアイスクリームある。子どもや女性に根強い人気だ。ピンク、淡いブルー、柔らかいイエロー、アイボリーホワイトで統一されたブランドは、おじさんには近寄りがたい。きっと、おじさん達に大挙して来れないような戦略なのだろう。彼らは意外とアイスが好きなのだ(笑)。

が、店頭の、通路側に設置された、例のピンク・ブルー・アイボリーのベンチ式ソファに30代らしきイカツイ兄ちゃんがひとり無心でコーンにかじりついている。サンドウィッチマンの伊達に似ている。周囲に家族は見あたらず、推測するに、奥さんと子どもの買い物を待っているのだろう。それにしても31の店頭か。

風貌がそうさせているのだろうけど、なんだかシュールだ。脳裏に焼き付く。こちらは微笑ましかった。

追憶のハイウェイ

古くさい映画のようなタイトルになってしまった。

19日(土)の夜に東京で用事を済ませ、実家のある湘南方面に向かって車を走らせた。久しぶりのルートで。

銀座から新橋経由で日比谷界隈を抜け芝へ。今なお美しい東京タワーを横目に見ながら慶応の三田を通って高輪へ入りすぐの清正公交差点を右折、目黒通りだ。

懐かしい白金台〜目黒周辺を抜けてしばらく走ると環七と交差する碑文谷へ。都立大〜自由が丘とやりすごし等々力へ着くと環八にぶつかり目黒通りの終点となり、瀬田方向へ合流したらすぐに左折すれば、第三京浜だ。

第三京浜はいったどれぐらいの回数を走ったのだろうか。懐かしさでいっぱいだ。

学生の頃は都内から家があった藤沢へ。大人になってからは会社のある東京から住まいの横浜へと、もう数え切れないほど走った。

そして、なぜか夜に第三京浜を走っていると、ロバータ・フラック&ピーボ・ブライソンの「愛のセレブレイション」が聞こえてくる。ずっと昔のCMの影響かな。

相変わらず第三京浜は走りやすい。夜景を見ながらゆっくり走っていると、様々なことを思い出す。

ちょっとクサい表現だけど、やっぱり「追憶のハイウェイ」で合っている。

年末の忘れ物

いまさらだけど、すっかり忘れ落ちたことがありました。

不定期に発行しているフリーペーパー「VART」。昨2018年はとうとう2回しか発行できなかった。おまけに忘れ物。

一応、掲載しておきます。年末の予定だったもの。

こちら↓クリックしてご覧ください。PDFとなります。

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新年のご挨拶。

あけまして おめでとう ございます。

本日、年賀状を郵便ポストに投函しました。先様に着くのは4〜7日あたりか。いずれにしろ、松の内には届くと思われる。たまには、このブログをご覧いただいている方にもビジュアルだけでもお届けしようと思います。

毎年必ず、年が明けてから年賀状を作り始める。もうずいぶん昔からだ。

「せっかちなプロモーション」にウンザリしはじめた頃からの習慣かな?バレンタインしかり、クリスマスしかり。「年賀状はお早めに」というアナウンスが11月に始まるのが気持ち悪い。その前に、山下達郎の曲が溢れ出すのも嫌いだ(さすがにここ数年は少なくなったが)。

もっとも、デザイン業という仕事柄、実際にはもっと早くから動いているから、その反動かもしれない。

それはまぁ兎も角。

年齢的には、新しい年を祝う、というより、毎朝目覚めると、それが嬉しくて祝いたくなる。

日々新しい。

その方がしっくりくる。

日々、感謝です。今年も。

年末のご挨拶に行ったら。

昭和の中頃に農家で生まれ育ったので、昔ながらの日本的風習はある程度は染みついている。

そんな訳で、年末ともなると身についている習慣というものがあり、これを済まさないとどうにも落ち着かない。

今日は畑を貸していただいたいる地主さん数軒に年末のご挨拶に伺った。軽く雑談を交わしながら帰ろうとすると「ちょっと待って・・・」と呼び止められる。

あれもこれもと農作物が出てくる。「ひとり暮らしだから、、、」と、なるべく少なくしてもらうのだけれど、結局はかなりの量をいただくことに。

リンゴ、サツマイモ、白菜、じゃがいも、リンゴ、干し柿、つきたての餅、キーウィ。あれ?手みやげ品よりかなり多いなぁ。

いつもありがとう。今夜は鍋と日本酒です。

放浪モノにやさしい社会

若い頃からウロウロする癖があって、実家を出てからも賃貸住宅の更新毎に引っ越しをしていた。26歳で初めて自分で車を買ってからは更に拍車がかかる(実際の行動範囲はけっこう狭いのだけれど…)。休日はサッカーをやりに行くか気ままにドライブとなる。

そんなわけで、ここ数年流行の車中泊も、もう35年のベテランだ。

今年、収穫した葡萄の運搬のためハイエースに買い換えた。葡萄を雨ざらしにしたくないので1tトラックよりいい。乗用車はもう不要なので4ナンバーで。

これがまぁ、車中泊にうってつけ。かつて無いほど全身を伸ばして寝ても、さらに余裕の空間がある。全身どころか手足まで伸ばせる。工夫次第でいかようにも活用できる。今回の西紀行でも大活躍でした。

そしてなんと言っても、環境の変化。

車中泊を始めた30年以上前は、人家から離れた「その辺」の道ばたに止めたり、今は姿を消した「ドライブイン」で仮眠したりだったけど、現在は至れり尽くせりの施設が選び放題だ。

高速道路のサービスエリアは言うに及ばす、道の駅の充実ぶりも素晴らしい。程度の差はあれ、おそらく全国津々浦々までサービスはゆきとどいていると思われる。

中でもいちばん嬉しい施設は日帰り温泉だろう。景気の良かった昔は「お風呂だけ」を利用出来る施設をみつけるのは難しかったけど、今はアプリがあれば現在地から近くの温泉が直ぐに見つかるし、設備の詳細や利用料金も簡単に比べられる。

信州に通い始めた頃は、その温泉天国ぶりに嬉々としたものだけど、どうやらここ10年あまりで全国各地の日帰り温泉は大充実を遂げているようだ。

京都ではど真ん中にある「スーパー銭湯」を利用したけど、駐車場も広く、露天風呂もあったり食事処も充実して休憩スペースも広々。郊外の温泉地にある日帰り温泉と遜色なかった。それで750円。

あちこちウロつく人間には優しい社会かも?

もしいま自分が若造だったら迷わず自転車や徒歩で放浪の旅に出ていたと思う。

憧れるなぁ、山下清の人生。

いつの間にか冬かも。

今朝は寒かった〜。上田市の最低気温は0.8℃。目視では初めて畑が霜だらけに。石油ファンヒーターも今朝から始動です。

日が差し始めると気温がぐんぐん上がってくるのでまだ冬という感じがしないけど、秋は終わったかな、という印象。収穫が終わってから今の今まで必死に個展の準備をしていたため秋を愛でる余裕がなかったせいか、気づいたら冬が目前でした。

寒い日が多くなると、標高800m前後の我が集落では雲海を見ることができる。昨日の朝は近所の棚田が幻想的な景色となっていました。

田舎の秋は忙しい。

想定外の早さで収穫が終わり、ちょっとはゆっくりできるかと思いきや、田舎暮らしはやることがいっぱいなのだ。

9月は集落の村祭りの季節ということで、今日は岩清水地区の菩提寺・清水寺(せいすいじ)の境内で毎年恒例の秋祭りが、台風の接近をものともせず開催された。

通称「だんご祭り」とも呼ばれており、その名の通り、祭りのメインを飾るのが団子の配布。普段は人影が少ない村内がちょっとだけ賑やかになります。

お団子は地域のみんなによる手作り。隣組ごとに集まっておしゃべりしながら慣れた手つきで作ります。コミュニケーションが主役ですね。私も混ざって作ります。

このお祭りでもうひとつの名物が屋台。こちらも地域のみんなによる手作り。前日から焼き鳥の仕込みを行い、BBQさながら焼きまくるのだ。これも何年もやっているから皆さん慣れたもの。

ビール片手に朝っぱらから備長炭による焼きたての焼き鳥をほおばる。これ、絶品です。準備から運営〜片付けまでしっかり働いているので尚更旨い。

私の場合、地域の役員にもなってるので、正装で読経〜護摩焚き、直会(なおらい)に参列する。ひととおり済んだら後片付けをやって、最後に公民館で慰労会と、まぁ中々のハードスケジュールでした。

ちょっと疲れましたが、小さな集落の小さな楽しみを大切に守っていこうと思います。

熱中症のメカニズム

きのう熱中症になりました、たぶん。

このところ連日の猛暑日ながら、ずっと畑仕事をきっちりやっていたけど、さすがに疲れてきたかな?ということで土日は静養に努めました。

上田市は土曜日が37.5℃、日曜日が38.3℃と2日連続で観測史上最高値を記録。さすがの我が集落・岩清水も下界とさほど変わらず猛烈な熱波に襲われました。

岩清水へ移住してから快適な高原気候に慣れてきた身体は、東京や横浜で鍛えた(?)暑さへの耐性がすっかり失せているようで、昨日はホント辛かった。

で、野暮用で出掛ける以外は家でしっかり休んでいたら、だんだん身体がダルくなっていく。こまめに水分補給してもぜんぜん良くならない。ヤル気が出なくなっていく。頭痛はしないものの、このダルさは間違い無い。暑さはどんどん募る。夕方から食欲が出なくなった。これは「熱中症」だ。

猛烈な暑さは承知しているが、どうも納得できない。しばし悩んでいたが、ハタと気づいた。「汗の量が外で畑仕事をしているときより格段に少ない」。放熱していないのだ。代謝が停滞。完全休養がどうも裏目に出たようだ。

どうにもヤル気が出ないものの、この日は上田市の千曲川沿いで大花火大会が行われる。これに合わせ、近所の仲間で夕刻から恒例の「花火を見下ろしながらBBQ」があるのだ。

準備やら何やらで身体を動かし、花火が上がる前からビールをプシュッ。肉をほおばる。持ち寄りのつまみにあずかる。親しい人たちとの話しが盛り上がる。

日没とともに徐々に気温が下がり始める。花火はなかなかの見応えだ。

気づいたら、体調が良くなりました。

身体を動かして汗をかく。そして水分補給。最後にビールとリラックス。岩清水の夜。

熱中症にはこれが効きそうです。